阪和電鉄が開発した戦前の一大観光地「砂川遊園・砂川奇勝」の名残を探る

JR 阪和線 225系5100番台

JR 阪和線は 1929 年に「阪和電気鉄道」(阪和電鉄) という私鉄として開業し、戦時中の国有化で国鉄に編入されました。

阪和電鉄は会社としては短命でしたが、当時日本最速の高速運転や、南海鉄道 (現: 南海電鉄) との激しい競合など、様々な歴史を遺しました。

鉄道事業については他記事に譲りますが、阪和電鉄は鉄道への集客を目的として観光地の開発も行っていました。

阪和電鉄の名残がある和泉砂川駅

和泉砂川駅 駅舎
西側駅舎
和泉砂川駅 駅舎 山側
東側駅舎

阪和電鉄が開発した最大の観光地の最寄駅は和泉砂川駅でした。

府中(和泉府中)以南が開業した 1930 年に信達駅として開業し、2 年後に阪和砂川駅(以下 砂川駅)に改称されました。その後、複数回改称され今の駅名になっています。

この駅舎は私鉄時代からあるもので傾斜が急な赤屋根が特徴的です。

築90年以上になりますが、西側の駅舎の屋根が塗り直されたようで、まだ使われそうです。

高架工事などで減っていますが、他に長滝や東佐野に私鉄時代の駅舎が現存します。

阪和線 架線柱 223系2500番台
阪和電鉄時代の架線柱

和泉砂川駅には私鉄時代の架線柱が現存しています。上が尖っていて鉄骨製であるのが特徴です。

「昭 5」と書かれており、上記の府中以南の開業年に一致します。

他にも複数ありますがコンクリート製の架線柱へ立て替えが進んでいます。

「第二の宝塚」を目指した砂川遊園

阪和電鉄は「第二の宝塚」を目指して砂川駅東側の和泉山脈の麓のエリアを開発し、1935 年に「砂川遊園」という遊園地をオープンしました。

砂川遊園には花壇のある広場があり、遊具やボート池や展望台もありました。

多い時は 1 日 5、6 万人の観光客が訪れたそうです。

現役の頃の貴重な写真を紹介します。

「沈床花壇」※1

遊園の真ん中の広場にあった花壇の写真です。

「展望台」※1

広場の東西を山に囲まれており、東側の山の上に展望台がありました。当時は大阪湾の海がよく見えたことでしょう。

「モンキーハウス」※2
「飛行船塔」※2
ボート池
「ボート池」※2

遊園内にはボートに乗れる池がありました。

中ノ池
「中ノ池」※2

さらに、遊園の海側に隣接して百合ノ池、丘ノ池、中ノ池、芦谷池の 4 つの池があり、これらでもボートに乗って遊覧できたようです。

砂川遊園のイメージキャラクターに採用されたのは、なんと丸耳の某有名な黒鼠でした。

その正体は、お察しの通り「ミッキーマウス」です。

戦前の現役の頃のパンフレットの表紙に描かれていました。

阪和電鉄はディズニーに高額な使用料を払っていたのでしょうか。いや、多分勝手に使っていたのでしょうね

日本のグランドキャニオン「砂川奇勝」

砂川遊園の山側に隣接して「砂川奇勝」がありました。

砂川奇勝とは、約 200 万年前に海底が隆起して陸になった砂山で、風雨で崩れて川のようになってできた独特な地形です。

砂が崩れて川のようになることから「砂川」という呼び名が付きました。

まるで日本のグランドキャニオンと言えそうな希少な景観が人々を魅了し、また地質学的にも希少なものでした。化石が出る場所でもあったそうです。

そのため、以前から観光地として知られていましたが、阪和電鉄と砂川遊園の開業により観光客がより増加しました。

阪和電鉄は砂川遊園とセットにして砂川奇勝も宣伝しました。

意外なことに、この砂川奇勝の「砂川」が阪和砂川(現 和泉砂川)駅の駅名の由来そのものなのです。

戦前に発行された絵葉書に砂川奇勝の写真があります。

猿飛の奇勝
猿飛の奇勝(泉州 砂川奇勝)※1

上の写真の真ん中に人が小さく写っていることからその大きさが窺えます。

また、その砂山に落書きが幾つもあり、訪れた人の多さが想像できます。

鬼すべりの奇観 泉州 砂川奇勝
鬼すべりの奇観 (泉州 砂川奇勝) ※1

砂川奇勝の山側の端は崖になっており、上を歩く人を見るとその高さが窺えます。

本家のグランドキャニオンには及びませんが、落ちたら死にそうな高さです。

砂川奇景の大観
砂川奇景の大観 (泉州 砂川奇勝) ※1

この絵葉書の説明文によると、砂川奇勝は天然記念物の候補になっていたそうです。

北野恒富 砂川奇勝
北野恒富「砂川奇勝」

日本画家 北野恒富氏の作品には砂川奇勝を歩く女性の絵があります。

この作品の完成時期は不明ですが、昭和初期のものと思われます。女性の服装は今と変わらない感じですね。

砂川奇勝がかつて観光地だったことを感じさせられます。

砂川遊園と砂川奇勝のその後

砂川遊園と砂川奇勝は日本が戦時下になるにつれて観光客が減っていきました。

この頃、阪和砂川駅は1941年に阪和電鉄と南海鉄道(南海電鉄)の戦時合併で砂川園駅に改称され、砂川遊園は南海に引き継がれました。

1944年に旧阪和電鉄の路線が戦時買収で国有化され、砂川園駅が現在の和泉砂川駅に改称されました。

正確な年月は不明ですが、戦時中に砂川遊園は閉園したようです。

1947年の砂川遊園跡地・砂川奇勝 (クリックで拡大) ※4

終戦後間もない頃の砂川遊園跡地と砂川奇勝が写った航空写真です。

広場など遊園の施設の痕跡や砂川奇勝がはっきり確認できます。

写真には写っていませんが、戦後、砂川遊園の跡地に幾つかの遊具が再び設置されたようです。

砂川遊園の復活かと思いきや、後に状況が一変します。

1970年代の砂川遊園跡地と砂川奇勝 ※3

なんと、遊園の跡地が完全に住宅地に変わりました。

遊園の跡地が不動産会社に売却されたのだと思われます。

こうして、砂川遊園は歴史の闇へ消えていったのです。

砂川奇勝も一部を残して住宅地になっています。

砂川奇勝は周辺住民が保存を求めて宅地開発に反対したため一部を公園として残すことになったそうです。

一方で、泉南市が砂川奇勝の大部分を不動産会社に安く売却したようですから、自治体はこれを保存しようと考えていなかったのでしょう。

砂川遊園跡地と砂川奇勝の今

現在の砂川遊園跡地・砂川奇勝の航空写真 ※3

現在の砂川遊園跡地・砂川奇勝の航空写真です。赤丸が遊園の跡地、青丸が現存する砂川奇勝です。

環道

砂川駅から山側に向かうと、戦前の観光案内図にある環状交差点に来ます。

塔は無くなっていますが、塔の土台らしきものと環状交差点は現存しています。

ここが観光地「砂川」のメインゲートだったのでしょう。

さらに山側に歩くと、砂川公園団地という住宅地に来ます。

ここが砂川遊園の跡地ですが、遊園にあった広場も遊具も東西を囲む山も見当たりません。

住宅と道路ばかりが続いています。

宅地開発で山ごと潰して整地されたのでしょう。

遊園に隣接していた 4 つの池では、ボートに乗る人はいませんが、戦前とほぼ同じ形状で現存しています。

これらの環状交差点が砂川遊園の数少ない痕跡だと思われます。

砂川駅から砂川遊園跡地へは徒歩約12分ですが、ひたすら上り坂なので少ししんどい感じです。

砂川奇勝は先程の住宅地の奥にあります。さきほど出したこの道路を上がり途中で左に曲がります。

道が複雑で迷いやすいので、実際に行く時は地図を確認することをお勧めします。

砂川奇勝 残骸

するとこの空き地の裏に来ますが、これは砂川奇勝の残骸だと思われます。

奇勝集会所

柵に囲まれたエリアに到着すれば、そこが現存する「砂川奇勝」です。

砂川奇勝は砂川駅から徒歩約20分です。上り坂ばかりなので砂川遊園跡地に行くよりしんどいです。

砂川奇勝の範囲。点線は境界が不明であることを示す。クリックで拡大 ※3

砂川奇勝の航空写真です。黄色の丸が現存する砂川奇勝、赤丸が戦前の砂川奇勝の範囲です。

砂川奇勝は宅地開発によりここまで縮小しました。

現在の砂川奇勝の案内図です。番号が以降の写真の場所を示します。

奇勝集会所

柵の狭い隙間が入口、その向こうが遊具のない運動場です。

奇勝集会所

柵には「奇勝集会所」という看板があります。

恐らく現存する砂川奇勝 最大の見所である砂の崖です。

砂川奇勝は白っぽくて触ると砂がパラパラと崩れてきます。見た目以上に滑りやすいので足下注意です。

戦前には及びませんが、今も2階立ての家ほどの高さがあります。

ギザギザの砂山です。低い砂山がいくつもあります。

丸い砂山です。

他ブログの10年ほど前の写真と比べると、丸い穴が増えているので、子供がいたずらしているのかもしれません...。

砂山に登りました。

砂山に海底から出た丸石が挟まっており、周りの砂が崩れて縦向きの直線模様ができています。

上が尖った砂山です。横に人が何人も登った痕跡があります。

砂川奇勝の端には住宅が迫っています。

遊具がある運動場です。普段は子供がここで遊んでいるみたいです。

最後に砂川奇勝の崖の上からの眺めです。りんくう、大阪湾の海、淡路島が見えます。

戦前にはマンションのような高い建物が無いのでこれ以上の絶景だったはずです。

縮小した砂川奇勝に空しさを感じました。

いつまでも続くとは限らない宅地需要のため希少な自然を壊したのは本当に良かったのか。

もし砂川奇勝をそのまま保存していれば再び観光地として蘇り、地質学者などの研究者が訪れる場所にもなったのでは...

そんなことを考えされられました。

もう遅いですが。

※1: 絵葉書「最新 砂川の奇觀」より, 岸和田市図書館 HP 絵葉書一覧に掲載
※3: 国土地理院航空写真を加工
※4: アメリカ軍が撮影した航空写真を加工。国土地理院閲覧サービスに掲載

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