南海鉄道 (現 南海電鉄、以下 南海) は明治時代に紀和鉄道 (現 JR 和歌山線) を買収して合併する計画をした歴史があります。
この計画は実現しませんでしたが、将来の南海の歴史を左右する重大な出来事かもしれないにも関わらず、史料が乏しいのが現状です。
まずはこの計画に関わる明治時代の私鉄「紀和鉄道」「関西鉄道」について説明します。
1. 紀和鉄道の概要

紀和鉄道 (以下: 紀和) は 1898 年に開業し、和歌山市~二見 (現 大和二見) を鉄道を建設した私鉄で、現在の JR 和歌山線の一部です。
1904 年に関西鉄道に合併された後国有化されました。
2. 関西鉄道の概要

関西鉄道 (以下 関西) は 1889 年に開業した私鉄で、会社合併を繰り返して大阪、奈良、和歌山、京都、名古屋などを結ぶ広大な路線を築きました。
現在の JR 大阪環状線、関西線、奈良線、和歌山線などです。
大阪~名古屋 間で発生した官営鉄道 (以下 国鉄) との激しい競争が日本の鉄道史に残る大きな出来事となっています。
自社の国有化に対し反発していたものの、1907 年に鉄道国有法により国有化されました。
3. 紀和鉄道が買収されるきっかけは水害
ここから本題に入ります
南海の和歌山線 (紀和) 合併計画は紀和の水害がきっかけで生まれたものです。
紀和は 1903 年 7 月 7 日と 8 日に大雨で紀ノ川が氾濫し、全線に渡って大きな被害を受けました。
25 日と約 16000 円 (金額は全て当時の物価) をかけて仮復旧工事を行い、列車の運行を再開しました。
しかし、本復旧工事には約 29000 円、や今後の水害を未然に防ぐ工事に 69000 円、法令上必要な改修工事に 29000 円、機関車庫や停車場の仮設物の改築工事に約 5 万円など、今後多額の費用がかかることが分かり、このままでは会社の存続が難しくなってしまいました。
この問題について、水害復旧費と改良費を今後の収入で賄う方法や、低金利の借金で社債を返済する方法などが検討されました。
結局は、公共交通機関としての責任を果たすことや、小さい鉄道会社の合併を求める時代の流れを考慮し、会社を売却することになりました。
4. 南海鉄道への売却を計画するも破談に
紀和は最初 南海に会社売却の話を持ち込みました。
南海は将来の会社の発展のため望ましいとしてこれを受け入れ、1903 年 10 月 28 日、紀和は南海と鉄道買収の仮契約を結びました。
この時示された買収条件は、南海が 1903540 円を紀和に渡し、このうち 90 万円は年間 6% の利子を付けて社債金で支払うものでした。

以下に南海の紀和買収の仮契約書の抜粋を載せます。
假契約書
南海鐵道株式會社社長松本重太郎ト紀和鐵道株式會社社長片岡直温トノ間ニ於テ鐵道賣買ニ關スル契約ヲ締結スルコト左ノ如シ
第一條 紀和鐵道株式會社ハ其所有スル鐵道及附屬物件即チ別紙目錄ニ記載スル一切ノ財產ヲ金壹百九萬參千五百四拾圓ヲ以テ南海鐵道株式會社ニ賣渡スモノトス
...(略)...
第二條 紀和鐵道株式會社ハ今回南海鐵道株式會社ニ於テ募集スル社債金九拾萬圓ヲ額面ニテ引受ケ右ニ對スル拂込金額ヲ以テ第壹條賣買代金ノ内ニ充當シ殘金拾九萬參千五百四十圓ハ現金ヲ以テ南海鐵道株式會社ヨリ紀和鐵道株式會社ニ拂渡スモノトス
但シ此ノ社債發行最低價格ハ券面額ニシテ壹ヶ年六朱(壹百分ノ六)利附トス ...(以下略)
...(略)...
この仮契約は南海の株主総会では順調に可決され、紀和の株主総会では紛糾すると予想されていました。
しかし、紀和では順調に可決され、南海では買収金額が高すぎるとして買収に反対する株主が現れ、買収反対派と賛成派の株主が対立する事態となりました。
南海はこの事態を受けて臨時総会を開き、紀和へ支払う社債金の年利 6% を 5.5% に下げるという内容が可決され、これを紀和に通知しました。
この通知を受けて、紀和は年利を下げられたことに反発し、株主からは、会社売却を諦めて自立して経営すべき、関西へ売却すべき、南海は考えを改めるべきなど様々な主張が出ました。
紀和は問題となった買収金額について南海と複数回交渉を行いましたが、合意に至りませんでした。
紀和は南海への会社売却を諦め、これを南海に通知しました。
拜啓仕候 陳は弊社鐵道並に附属物件賣却の件に關する貴社のご提按は弊社重役並に委員協議會に於て否認仕候 依て此段御通知申上候 早々敬具
5. 関西鉄道への売却を計画
1904 年 2 月 25 日、紀和の取締役らは関西に会社売却の話を持ち込み、関西と鉄道買収の仮契約を結びました。
関西は支払う金額や社債金の年利について南海と同じ条件を示し、さらに 1905 年 5 月から紀和に対して営業委託を始め以降の損害は関西が負担する、というより有利な条件を示しました。
以下に関西の紀和買収の仮契約書の抜粋を載せます。
仮契約書関西の紀和買収の仮契約書全文はこちら
一關西鐵道株式會社社長田中新七と紀和鐵道株式會社取締役弘世助三郎、越野嘉助との間に於て鐵道賣收に關する契約を締結すると左の如し
第一條 紀和鐵道株式會社は其所有する鐵道及附属物件即ち別紙目錄に記載する一切の財產を金壹百九萬參千五百四拾圓を以て關西鐵道株式會社に賣渡すものとす
...(略)...
第二條 紀和鐵道株式會社は今回關西鐵道株式會社に於て募集する社債金九拾萬圓を額面にて引受け右に對する拂込金額を以て關西鐵道株式會社より紀和鐵道株式會社に拂渡すものとす
但此社債發行最低價格は券面額にして壹ヶ年六朱(壹百分の六)利附とす ...(以下略)
...(略)...
入力ミスがあったらすみません...。
6. 南海と紀和が訴訟沙汰に
関西との仮契約を結んだ翌日、南海は紀和に対し、南海との仮契約を (社債金の年利 5.5% で) 履行すると通知しました。
拜啓仕候 陳者本月廿五日付を以て貴社鐵道並に附属物件買收條件の一部に付曩きに弊社より御交涉致候 提按は貴會社重役並に委員協議會に於て否認相成候 趣御通知の段承知致候 就ては弊社重役並に委員協議會に於て明治三十六年十月廿八日付を以て貴社と弊社との間に於て締結致候 仮契約書の通全部實行することに更に決議致候 間該契約書之通至急御履行相成度此段御通知申上候敬具
この通知に対し紀和は、南海との交渉は既に破談しており、今更「新しい申込」をされるのは迷惑だとして、契約履行を拒否する旨を通知しました。
拜復明治三十七年二月二十六日付甲第五十一号を以て御申出の趣拜誦然る處右は當方より明治三十七年二月二十廿五日付書面を以て申上候通貴社の御申込に對し當方承諾の運びに至らず既に合意不成立に歸し候のみならず二月三日貴方御提按の際此上讓歩の余地無之万一之が爲め不調に終るも株主並に世間に對し遺憾なしとの御申出に付以後双方交涉の委員會相開かず當方より單に決答のみ可仕筈に有之候に拘はらず今更新しき御申出被下とも當方に於ては實に迷惑仕候のみならず目下當方の事情は御承知の通り貴社の新しき御申込に對し承諾仕兼候次第も有之候 間宜敷御斷申上候 條右樣不惡御了承被下度此段回答申上候也
南海は「新しい申込」ではないと反論して、1904 年 3 月 9 日、紀和に対し南海との買収契約の履行を求める訴訟を和歌山地裁に起こし、他社への買収を禁止する仮処分を申立てる事態になりました。
仮処分は認められたものの訴訟は原告 (南海) 敗訴となり、仮処分は無効化しました。
1904 年 3 月 22 日の紀和の臨時株主総会で関西への会社売却が初めて可決されました。
一部の株主はこの総会に反発し、紀和に総会無効の訴訟を起こしましたが結局原告 (株主) 敗訴に終わりました。
よって南海の和歌山線 (紀和) 合併計画は消え、関西へ合併することになります。
7. 紀和の関西への営業委託と合併
1904 年 5 月 17 日、紀和の事業を全て関西へ引き渡し営業委託が始まりました。
これにより、全ての財産が関西へ引き継がれました。
引き継がれた財産一覧を以下に示します。
線路 | 本線 31 哩 52 鎖 63 節 5 分 (約 50.9 km) 側線 5 哩 23 鎖 3 節 (約 8.51 km) |
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橋梁 | 42 ヶ所 総延長 2900 呎 (約 883.9 m) |
コルベルト(※2) | 41 カ所 総延長 360 呎 (約 109.7 m) |
墜道 (トンネル) | 1 カ所 798 呎 (約 243.2 m) |
停車場 | 15 カ所 (南和鉄道五条駅を含む) 建物総面積 1245 坪 8 合 9 勺 8 (8 才?) (約 1245.89 坪) |
電話線 | 本線 14 里 11 丁 24 間 7 分 (約 1298.6 m) 引込線 2 丁 30 間 (約 272.7 m) 付属機械材料 |
用地 | 76 里 9 反 7 畝 6 歩 9 合 8 勺 (約 230917 坪) |
車両 | 機関車 8 両、客車 43 両、郵便緩急車(※3) 4 両、有蓋貨車 30 両、土運車 7 両、無蓋車 5 両、材木車 2 両、魚運車 2 両、有蓋貨物緩急車 6 両 |
1904 年 5 月 17 日、紀和は会社を解散し、関西に合併されました。
8. もし南海の和歌山線 (紀和) が合併計画が実現していたら

もし紀和が南海に合併していたら、路線名は南海紀和線か南海和歌山線になっていたのでしょうか。そこは不明です。
確実なのは、和歌山を通る鉄道が南海のみになることです。
和歌山は当時の日本の主要都市であり、南海を国有化しないと国鉄線を通せなくなるため、南海も国有化された可能性が高いと考えられます。
そうなれば、日本初の冷房電車も存在せず...それどころか関西地方の鉄道の歴史が一変してしまうでしょう。
南海の国有化計画についてはこちらの記事をご覧下さい