
南海和歌山港線は現在 和歌山市、和歌山港の2駅のみとなっていますが、かつては他に4つ駅がありました。
2002年に和歌山港線の末端の水軒駅が廃止、2005年に和歌山市-和歌山港 間の久保町、築地橋、築港町の3駅が廃止され現在の形となりました。


和歌山港線の廃線跡の地図です。丸付き番号が写真の撮影位置と対応します。
水軒駅跡(水軒公園)
まずは廃止された水軒駅から。

水軒駅は廃止後すぐに架線やホームが撤去されたものの、レールが暫く放置されていました。
後に水軒の浜に松を植える会により跡地が整備され「水軒公園」に生まれ変わりました。
そのため、現在はレールが残っていません。
水軒公園には近くで発掘された江戸時代の堤防「水軒堤防」が移設保存されています。

また、グラウンドやドッグランやアスレチック・ランニングコースが整備されています。

水軒公園には僅かながら線路の痕跡が残っていました
上の写真は見にくいですが架線柱の土台です。
水軒公園への交通アクセス
水軒公園に駐車場はありますが、すぐ近くに駅やバス停はありません。
このため、自動車を使わない場合、和歌山バス「西浜」停留所から約15分歩く必要があります。
水軒-和歌山港 間
水軒駅跡付近は線路に並行している道路が拡張され、線路跡が完全消滅していました。
写真の奥の道路が和歌山港-水軒 間で唯一線路と交差しており、かつて写真の奥に踏切がありました。
道路の拡張工事が行われたため、踏切の痕跡は残っていません。
和歌山市駅に向かって線路跡に並行する道路を歩いていくと、また架線柱の土台が現われます。
並んでいる架線柱の土台の1つの横にお地蔵様がありました。
水軒駅廃止前からあるのか、廃止後に設置されたのかちょっと分かりませんが。
花王 和歌山工場が和歌山港線に隣接しており、その線路跡が工場の出入口の通路に転用されています。
花王の工場の前にはバラストと架線柱の土台が残っていました。
花王の工場の出入口を跨ぐ和歌山港線の線路跡の高架橋が残っていました。
航空写真で見る限りこの高架橋のレールは撤去済みと思われます。
和歌山港駅
和歌山港駅の1番線の線路がかつて水軒駅まで続いていました。
現在は車止めが立てられその先の線路は撤去済みです。
初代和歌山港駅跡
現在の和歌山港駅が開業する前、(初代) 和歌山港駅がありました。
かつて和歌山港線で貨物輸送が行われており、(初代) 和歌山港駅には貨物線と旅客線がありました。
現在の和歌山港駅の開業後は築港町駅となり旅客線と旅客ホームは移設されました。
貨物線の廃止時期は不明ですが1970年代と思われます。
(初代)和歌山港駅の貨物ホームの跡です。現在も貨物ホームが工場の建物の下に残っています。
(初代) 和歌山港駅の旅客ホームのあった場所です。現在は工場が立ち並び痕跡は見つかりません。
ここに黒い貨車が置かれていますが、これは和歌山港線の貨物列車と関係あるんでしょうか (?) 中の人は分かりません。教えてエロい人!
和歌山港線の貨物線は上の写真の奥から手前に続いていました。
貨物線の一部は工場の駐車場に転用され分断されています。
築港町駅跡
築港町駅跡です。ホームのあった場所が空き地になっています。
貨物線との合流地点の跡
和歌山港線の貨物線跡は一部が駐車場になり分断されているので、和歌山市方面へ迂回して反対側から見た風景です。
築港町-築地橋 間で貨物線が旅客線 (現在の和歌山港線) と合流していました。
築地橋駅跡
築地橋駅跡です。ホームは撤去されましたが、土台の一部が残っています。
久保町駅跡です。築港町駅と同じくホームは撤去されましたが、土台の一部が残っています。
水軒駅の開業と廃止の経緯

水軒駅は和歌山県が材木輸送を目的として建設し、1971年に開業しました。
貨物駅として開業するはずでした。
なので、配線図のように線路が3本もあったわけです。
しかし、開業時には材木輸送は鉄道からトラックに置き換わっていました。
一度建設してしまった線路を撤去するのはもったいないということで、列車運行を南海電鉄に委託するという形で、約30年間、2両の電車を1日2往復運行しました。
本来の材木輸送は一度も行われませんでした。
利用者はずっと1日数人ほどでした。
廃止のきっかけは、途中の踏切で渋滞が起きているので改良してほしいという要望でした。
そして、県議会であっさりと廃止が決定されました。
最期には10000系の入線など臨時列車が運行され、2002年に廃止されました。
つまり、水軒駅の建設は失敗に終わった県の公共事業なのです。